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Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/81

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火はしだいに地方へひろがり、火元ひもとの幕府には、もはやこれを消す力がありませんでした。これからおよそ百年の間、戰が國々で絶えまなく續くのであります。

はなやかな金閣も、おちついた感じの銀閣も、ともに今日こんにちに傳はつて、これを造りあげた人々のすぐれた腕前を、しのぶことができます。しかし、これを見るにつけても、義滿・義政を始め代々の將軍が、政治にまじめでなかつたことだけは、つくづく殘念に思はれるのであります。

二 八幡船ばはんせん南蠻船なんばんせん

日本は、もともと海の國であります。機會さへあれば、海外へのびようとします。元寇げんこうをもののみごとに擊ち破ると、國民の海外發展心はつてんしんは、いよいよ盛んになりました。ことに西國さいごくの人々は、元寇における元・高麗かうらい非道ひだうな仕打ちを怒つて、これをこらしめる日を待つてゐました。

しかし日本人は、何事でも正々堂々とやる國民です。その進出は、まづ貿易から始りました。弘安こうあんえき後約十年、〈第九十二代〉伏見ふしみ天皇の御代に、早くも九州の商人たちが、元の沿岸えんがんへ押し渡りました。元では、海の守りを固めるやら、貿易に高い税金をかけるやらして、わが商人の進出をくひ止めようとしました。わが商船は、これにかまはず、どんどん大陸へ出かけました。もちろん高麗へも渡りました。高麗もまた、たいそうあわてました。

元も高麗も、わが商人をはばかつて、しきりに貿易のじゃまをす