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Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/82

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るので、こちらもだまつてゐませんでした。向かふが約束を破つたり、品物の代金を拂はなかつたりすると、日本刀を振るつて、相手をこらしめました。さすがの元も、その武力を恐れ、やがて、わが商人のきげんを取るやうになつたほどです。高麗も、これを防ぐのに、ずゐぶん費用(ひよう)をかけたため、すつかり國がおとろへたといひます。かうしたことが手傳(てつだ)つて元はほろび、代つて明が興(おこ)ると、國王は、さつそく使ひをわが國によこして、かうした商人の取りしまりを求め、高麗もまた、それを望みましたが、明の國書があまりにも無禮なので、征西大將軍(せいせいたいしやうぐん)懷良親王(かねながしんのう)は、きびしくおとがめの上、きつぱりとこれをお退けになりました。

 潮路はるかに
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潮路はるかに

このころのわが商船には、勇敢(ゆうかん)な武士も多數乘りこんで、盛んに活躍(くわつやく)しました。すると支那の海賊までが、そのしり馬に乘って、できたばかりの明の國を荒しまはる始末(しまつ)です。山東(さんとう)・浙江(せつかう)・福建(ふくけん)の諸地方などは、ほとんどいつさいが、根こそぎされる有樣です。高麗も、さんざんになやまされ、これが原因(げんいん)となつて、つひにほろびてしまひました。ついで興つたのが、朝鮮(てうせん)といふ國であります。 足利義滿が、明の要求(えうきう)をいれて、取りしまりを行(おこな)つたため、わが國民の大陸進出は、一時下火となりました。しかし、幕府の手ぬるい