幸あらせられ、まもなく、御位を〈第百代〉後小松天皇におゆづりになりました。紀元二千五十二年、元中九年のことであります。
義滿は、朝廷にお仕へして、征夷大將軍に任じられ、京都の室町に幕府を開きました。かうして世の中は、ひとまづしづまることになりました。やがて、義滿は太政大臣に進み、子の義持が征夷大將軍に任じられました。義滿は、だんだん得意になり、そのそのわがままを始めました。太政大臣を退いてのちも、なほ政務をさばき、京都の北山に、りつぱな別莊を造つて、ここに移りました。ことに、その庭に面して建てた三層の樓閣は、ずゐぶんこつた建物で、上層を金箔でかざりました。人々は、やがて、これを金閣と呼ぶやうになりました。
義滿は、幕府の役目や地方の役人を整へましたが、主な役目は一族で占め、地方の役人には、勢の盛んな武將をあてました。かうした組立てでは、元じめの幕府が、よほどしつかりしてゐないかぎり、地方は、ばらばらになりがちです。これまでも、足利氏は、もつぱら部下のきげんを取つて、自分の勢をたもつて來ました。從つて、武將の中には、おひおひ、わがままものが多くなり、地方の政治は、しだ