源賴義が、朝廷の命を受けて、これをしづめるために戰つてゐる、前九年の役の眞最中のことです。
やがて〈第七十一代〉後三條天皇が、御位におつきになりました。天皇は、世のなりゆきを深く御心配になり、御みづから政治をおとりになりました。たびたび藤原氏をおいましめになり、ゆるんだ政治を立て直さうと、おつとめになりました。おそれ多くも、儉約の模範をお示しになり、日々の御膳部にまで、御心をお配りになつたと傳へられてゐます。石清水八幡宮に行幸の御時など、奉迎者の車のはでな金具に、お目をとめさせられ、その場で、これをお取らせになつたこともありました。しぜん役人たちは、心をひきしめて務めにはげみ、さすがの賴通も、おそれ入つて、關白の職を退き、平等院へ隱居してしまひました。しかし天皇は、わづか五年で御位を〈第七十二代〉白河天皇におゆづりになり、まもなく、まだ四十の御年でおかくれになりました。
白河天皇もまた、後三條天皇の御志をおつぎになつて、御みづから政治をおとりになりました。御位をおゆづりになつてからも、院で政務をおさばきになつたので、攝政・關白の職も、名ばかりとなり、藤原氏の勢は、どんどんおとろへて行きました。