Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/48

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のびた左右のよくらう、なるほど、鳳凰が大空を飛んでゐるやうな、美しい建物です。堂の中にはいると、ほんぞんを始め、とびらの繪やらんまてうこくなど、何一つとして、やさしく美しい漢字を與へないものはありませんじつと見つめてゐると、藤原氏の榮華よりも、これを作つた人々のたくみなわざに、おどろかされます。さうして、どうしてこのころ、かういふりつぱなものが作れるやうになつたかを、考へさせられます。

紫式部

紫式部

遣唐使がやめられてから、人々は、今までより、もつと日本人の精神にしつくり合ふものを、作らうとするやうになりました。かなもじがひろまり、和歌やものがたりなどが發達したのは、みなかうした心やどりよくけつくわであります。その中には、むらさきしきぶの作つた源氏物語のやうに、世界にすぐれた文學もあります。繪や彫刻や建物なども、だんだん日本人の心に合ふものになりました。鳳凰堂は、建物を始め、中のすぐれたぶつざうそのほか、いつさいをくるめて、いはば美しい博物館であります。すべて、古く支那やインドから傳はつた習はしも、このころまでに、生まれかはつたやうに、日本らしい美しさを見せるやうになりました。

はなやかな都の生活も、一面には、かうしたよいものを殘してゐますが、ただ藤原氏が政治を怠つたのは、まことに困つたことでありました。平等院ができたのは、ちやうど、奧羽であべ氏がそむき、