は、五十九歳でなくなりました。道眞のお案じ申しあげた都も、國々もよく治つて、まことに安らかでありました。世に延喜のみかどと申しあげる醍醐天皇の御德は、申すもおそれ多いほどで、天皇は、ともし火もこほるばかりの寒い冬の夜に、御衣をおぬぎになつて、まづしい人々の心を、お思ひやりになつたことさへあります。時平たちのわるだくみも、時がたつにつれて、わかつて來ました。天皇は、道眞をもとの右大臣にかへし、特に正二位をお授けになりました。
人々もまた、道眞をうやまつて天神とあがめ、〈第六十二代〉村上天皇の御代には、京都の北野に、社が建てられました。〈第六十六代〉一條天皇は、この社に行幸あらせられ、また正一位・太政大臣をお授けになりました。地方でも、大宰府はいふまでもなく、國々いたるところに社を建て、梅の花のやうにけだかい道眞の眞心や一生の行ひを、うやまひあがめました。
今、太宰府神社にお參りして、道眞の眞心をしのび、さらに步みをうつして西の方へ行くと、道眞の配所、榎寺を始め、數々の遺蹟が、遠い歷史を物語るかのやうです。太宰府の役所の礎石や國分寺のあと、それに水城の堤までが、古いおもかげを見せて、太宰府の移り變りを、ありありとしのぶことができるのであります。