Page:TanizakiJun'ichirō-A Small Kingdom-Chūōkōron-2015.djvu/12

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人を陥れようなどゝ云ふ深い企みがあつたのではなく、実は自分の部下の者(即ち全体の生徒)が、どれほど自分に心服して居るか、どれ程自分に忠実であるかを試験する為めに、わざとあんな真似をやつたのである。あの日のあの事件の結果として、沼倉は、級中の総べての少年が一人残らず彼の為めに甘んじて犠牲にならうとしたこと、さうしてさすがの先生も手の出しやうがなかつた事を、十分にたしかめ得たのである。当時彼の指名に応じて、第一に潔く罪を引き受けようとした野田や、野田の次に名乗つて出た西村や中村や、此の三人は中でも忠義第一の者として、後に沼倉から其の殊勲を表彰された。―――啓太郎の話す意味を補つて見ると、大体かう云ふ事情であるらしかつた。で、沼倉が如何にして、いつ頃から其れ程の権力を振ふやうになつたかと云ふと、―――啓太郎の頭では其の原因をハツキリと説明する事は出来なかつたけれども、―――要するに彼は勇気と、寛大と、義俠心とに富んだ少年であつて、それが次第に彼をして級中の覇者たる位置に就かしめたものらしい。単に腕力から云へば、彼は必ずしも級中第一の強者ではない。相撲を取らせれば却つて西村の方が勝つくらゐである。ところが沼倉は西村のやうに弱い者いぢめをしないから、二人が喧嘩をするとなれば、大概の者は沼倉に味方をする。それに相撲では弱いにも拘はらず、喧嘩となると沼倉は馬鹿に強くなる。腕力以外の、凛然とした意気と威厳とが、全身に充ちて来て、相手の胆力を一と吞みに吞んでしまふ。彼が入学した当座は、暫く西村との間に争覇戦が行はれたが、直きに西村は降参しなければならなくなつた。「ならなくなつた」どころではない、今では西村は喜んで彼の部下となつて居る。実際沼倉は、「己は太閤秀吉になるんだ」と云つて居るだけに、何となく度量の弘い、人なつかしい所があつて、最初に彼を敵視した者でも、しまひには怡々いいとして命令を奉ずるやうになる。西村が餓鬼大将の時分には、容易に心服しなかつた優等生の中村にしろ鈴木にしろ、沼倉に対しては最も忠実な部下となつて、ひたすら彼に憎まれないやうに、おべつかを使つたり御機嫌を取つたりして居る。啓太郎は今日まで、ひそかに中村と鈴木とを尊敬して居たけれど、沼倉が来てから後は、二人はちつともえらくないやうな気がし出した。学問の成績こそ優れて居ても、沼倉に比べれば二人はまるで大人の前へ出た子供のやうにしか見えない。―――まあそんな訳で、現在誰一人も沼倉に拮抗しようとする者はない。みんな心から彼に悦服して居る。どうかすると随分我が儘な命令を発したりするが、多くの場合沼倉の為す事は正当である。彼はたゞ自分の覇権が確立しさへすればいゝので、その権力を乱用するやうな真似はめつたにやらない。たま部下に弱い者いぢめをしたり、卑屈な行ひをしたりする奴があると、さう云ふ時には極めて厳格な制裁を与へる。だから弱虫の有田のお坊つちやんなぞは、沼倉の天下になつたのを誰よりも一番有難がつて居る。―――

以上の話を、忰の啓太郎から委しく聞き取つた貝島は、一層沼倉に対して興味を抱かずには居られなかつた。啓太郎の言葉が偽りでないとすれば、たしかに沼倉は不良少年ではない。餓鬼大将としても頗る殊勝なよみすべき餓鬼大将である。卑しい職工の息子ではあるけれど、或は斯う云ふ少年が将来ほんたうの英傑となるのかも測り難い。同級の生徒を自分の部下に従へて威張り散らすと云ふ事は、さう云ふ行為を許して置くことは多少の弊害があるにもせよ、生徒たちが甘んじて悦服して居るのなら、強ひて干渉する必要もないし、干渉したところで恐らく効果がありさうにもない。いや、それよりも寧ろ沼倉の行ひを褒めてやる方がいゝ。子供ながらも正義を重んじ、任俠を尚ぶ彼の気概を賞讃して、なほ此の上にも生徒の人望を博するやうに励ましてやらう。彼の勢力を善い方へ利用して、級全体の為めになるやうに導いてやらう。貝島は斯う考へたので、或る日授業が終つてから、沼倉を傍へ呼んだ。

「先生がお前を呼んだのは、お前を叱る為めではない。先生は大いにお前に感心して居る。お前にはなか大人も及ばないえらい所がある。全級の生徒に自分の云ひ付けをよく守らせると云ふ事は、先生でさ