コンテンツにスキップ

Page:Shisekisyūran17.pdf/477

提供:Wikisource
このページは校正済みです

御くけしゆよりあつまり、御たんこうとあひきこへ候まつ上さハ 一ほんしんわう 八ちやうのみや、さきのくはんはく 一ちやうとの、したひに御なをりのよしなり、いたくらいかのかみ、めしにしたかひ、たかつかさ殿しらすまてまいられ候、そのときのちよくしにハ、にし三ちやう殿御こし、やかて御さしき御たちのよし候なり、

   御つほねしゆのしたひ

しんたいすけ殿と申は、ひろはしたいなこんの御むすめ、なかにもとりわけ、 御ひそう御ちやうあひの御かたさまなり、くものうへにとふとりは、たかくともいつへし、かいていにすむうほハ、ふかくともつるへし、まくらをならへても、はかりかたき人のこゝろなり、きのふハちきれとも、けふハかわるそなさけなき、

こんのすけ殿と申ハ、なかのゐんさきのちうなこんにうたう、やそくのそくちよなり、

なかのないし殿ハ、みなせ殿のそくちよ、

かんないし殿ハ、からはし殿のそくちよなり、

さぬき殿ハ、かなやすひんこのかみいもとなり、

 五人なから 十一月一日に

 くはんたうへ御くたし

十一月十三日に、するかへ御つれ候なり、おなしくによし八人、するかまてあひそへ、御くたし候へとも、六人ハ京へかへり候て、二人ハ御つほねしゆにそへをかせられ、ふゆちうハか