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附錄

二(九) の證明中最有力なる論據は關係せる數が盡く自然數なる結果として より直に を得るにあり.此點最注意を要す.

三(一) 第六四頁の三條を原則と名づけたり.現代の數學にては之を公理(Axiom)と稱すべし.而して此三條は又此處に所謂數(正負整數及零)の觀念の定義に外ならず.公理の語誤解を起すの虞ありと信ずべき理由ありて,故らに之を用ゐざりき.

精密に考ふれば次の如き疑問を生ず.曰く,此等の三原則は果して獨立なりや,相互無關係なりや.又曰く此等の三原則は自家撞着を含まずや.例へば第二原則は第一原則の論理上必至の結果ならずや又第三原則は果してよく第一,第二の兩原則と相容るや否や.此重要なる問題は此書全體の調子に諧ふには,餘り高きに過ぎたり.

第六七頁「アルキメデスの法則」の語は便利上假用せるに過ぎす.所謂アルキメデスの法則は第八章に說ける者なり.兩者全く類似の形象を具へざるに非ず.

四(四) 最小公倍數を先にするの便利なること,蓋しポアンソー(Poinsot)の創意なり.

最大公約數を求むる普通の方法,ユークリツドの法式につきては第八章を看よ.

ヂオフアント(Diophant)はアレキサンドリヤの人,紀元三百五十年頃ジユリヤン帝の治下に生存せり.享年八十四歲著書十三卷.一次方程式の解法はヂオフアントに始まる.整數を係數とし,未知數若干を含める方程式を整數を以て解かんとする問題卽ち所謂不定方程式の解法亦ヂオフアントに始まる.

故に此種の方程式を一般にヂオフアント方程式と名づけ,之を論ずる整數論の一部をヂオフアンチーク(Diophantik)と云ふ.

四(六) エラトステネス(Eratosthenes)紀元前二七六 - 一九四年.