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屬し居たる也)、尙戰爭中羅馬法王は多少獨逸の肩を持ちし形跡ありと云ふが此寺院は如何と際どき質問も出でしが長老は笑つて戰爭中法王廳との交涉は全く杜絕の姿なりきと答へ辛うじて御茶を濁せり。

 二十日午前メツツ驛より汽車にてストラスブルグに向ふ、汽車は獨逸製なり、構造のいかにも頑丈なる事獨逸式を發揮せり、其他あちこちに注意書の夥しく貼り付ける等獨逸官僚政治干涉政治の面目躍如たるを見る、途中ザーベルンを過ぐ、此地一寒村に過ぎざれどかの有名なるザーベルン事件を惹き起したる所と思へば今となりて一層興味を覺ゆ、ザーベルン事件とは獨逸軍人が此地の人民を虐待したる事件にて當時は此爲めに獨