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く恐らく、阿諛追從の徒の愚なる仕業なるべし、此寺院の長老の邸と云ふは中世紀の建築にして頗る古色を帶び門構等も甚だいかめし、長老は我等を珍客なりとて喜び迎へぬ、姉崎博士は專門の上より種々質問されしが長老は同行二名の佛人を憚りてか十分に所思を述べざりしが如し、其時の話に此寺院の如きも千八百七十年前佛領當時は佛國政府より莫大なる保護を受けしも其後佛國は千九百七年に至り政敎分離を行ひたれば今日再び佛領に戾りても以前の如き厚遇はなかるべく獨逸の治下にあると毫も異らざるべしと云ふ(因に獨逸は宗敎に就ては各聯邦に全く干涉をなさずバゞリヤの如きア、ロ二州の如きプロシヤが新敎なるにも拘らず舊敎を奉じ宗敎上は羅馬法王に直