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㈠ 被告人は、精神医学上いわゆる変質状態の基礎状態である生来性神経衰弱症者であつて、変質的傾向とみられる性行があつた。かつて、深夜熟睡中の友人の枕元に立膝して、その首を絞めつけ、君は寝首をかかれても判らないよと言つたり、強て、新婚の友人夫婦と同室に寝たり、好んで、夫不在中の他人の妻を訪ねて、食事をしたりなどした。また、音をたてずに、戸障子をあけたり、歩いたりする方法や、相手を熟睡させる方法を話したり、証拠を残さずに人を殺せると話したりなどしたこともあつた。
  被告人居宅から三町足らずの、弘前市大字在府町〔略〕〔乙〕方離座敷に、国立弘前大学医学部教授医学博士松永藤雄が、美貌の噂ある妻〔甲〕(当時三十年)及び子供二人と住んでいた。被告人も、ワンピースにサンダル姿の〔甲〕夫人を見たことがあつた。
  偶々昭和二十四年八月三日、約一週間の予定で、松永教授は、療養相談所開設等の用件で、長男を連れて酸ケ湯温泉へ赴き、〔甲〕の実母〔乙2〕が泊りに来て居た。同月六日夜は、蒸暑い晚で、右離座敷階下十畳間に、蚊張を吊つて、その中に、縁側に近く〔甲〕、次に長女、実母の順で、二烛光の電燈をつけたまま、寝に就いた。午後十時過頃、昼の疲れで、ガラス戸の施錠も忘れたものの如く、一同熟睡に落ちてしまつた。
  同夜午後十一時過頃、被告人は、右寝室にこつそり入り、〔甲〕の右側枕元に、しやがむようにして前屈みになり、殺意を以て、所携の鋭利な刃物で、仰臥している〔甲〕の左側頸部を、右から一突きに刺して、左側総頸動脈等を裁断し、因つて、同女をして、その場で出血による失血のため、間なく死亡するに至らしめたものである。
㈡ なお、被告人は、法定の除外事由なく、昭和二十一年十月十五日頃から昭和二十四年八月二十二日迄の間、外国製六連発旧式拳銃一艇(証第一号)を、肩書本籍地の居宅に蔵匿して所持していたものである。

(証拠)