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一 一審原告らが請求原因の冒頭で無罪判決に至る経緯として主張する次の事実は当事者間に争いがない。
  一審原告隆は、弘前大学教授松永藤雄の妻〔甲〕殺害の容疑で昭和二四年八月二二日逮捕され、勾留、鑑定留置を経たのち、同年一〇月一二日別件の銃砲等所持禁止令違反の被疑事実により逮捕、勾留されて、同月二二日同令違反の罪で原一審の青森地方裁判所弘前支部に起訴され、さらに同日前記殺人の罪により再逮捕された上、これについても身柄拘束のまま同月二四日左記公訴事実により同支部に起訴された。
「被告人は変態性欲者であるが国立弘前大学医学部教授医学博士松永藤雄妻〔甲〕当三十年の美貌に執心し昭和二十四年八月六日午後十一時頃から同十一時三十分頃迄の間に弘前市大字在府町〔略〕〔乙〕方離座敷の階下十畳間に実母等と枕を並べて就寝熟睡中の〔甲〕を殺害して変態性欲の満足を得る目的でその寝室に忍び込み枕許に座し所携の鋭利なる刃物(大型ナイフ)を以て同人の頸部を一突きに突き刺し左側頸動脈同頸静脈同迷走神経等を切断し間も無く死亡させて所期の目的を遂げたものである。」
  同支部は右両事件を併合審理し、昭和二六年一月一二日殺人の点につき無罪、同令違反の点については罰金五〇〇〇円に処する旨の判決を言渡した。同原告は同日釈放されたが、検事控訴がなされた。原二審裁判所は、昭和二七年五月三一日、原一審判決を破棄し殺人及び同令違反の各罪につき同原告を懲役一五年に処する判決を言渡した。同原告は上告したが、昭和二八年二月一九日上告棄却の判決がなされ、右有罪判決は同年三月三日確定した。同原告は原二審判決後の昭和二七年六月五日再び身柄を拘束され、この勾留と刑の執行による拘束状態は昭和三八年一月八日仮出獄するまで続いた。
  同原告は昭和四六年七月一三日右殺人の有罪判決について再審請求をした。仙台高等裁判所は、昭和五一