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1(イ) 被告人の検察官に対する昭和二四年一〇月二四日付供述調書、原一審証人〔乙42〕、同那須とみおよび被告人の原一審公判廷における各供述記載ならびに本件白シヤツの存在によれば、本件白シヤツは昭和二〇年中の戦後間もない頃被告人が大湊に赴いた際偶々貰い受けたもので、そのとき既に中古品であり胸の辺りに醤油のこぼれたようなしみがついていて汚いものであつたところ、以後同人において夏に作業用として着用し、本件発生の頃にも着ていたこと、同シヤツは旧海軍兵士用の開襟白シヤツで、その袖の長さは脇下から約四〇センチメートルあり着用した場合その袖口は肘よりかなり先になる所謂「七分袖」であることが認められる。
(ロ) 昭和二四年八月二二日付捜索差押許可状、司法警察員作成の同日付捜索調書、差押調書、原一審検証調書の各記載および原一審証人〔丙9〕、同那須とみならびに被告人の原一審公判廷における各供述記載によれば、被告人は本件で逮捕された当日である昭和二四年八月二二日には、午前八時頃から本件白シヤツを着て自宅庭の松の木の手入れをしていたところ、警察官から弘前市警察署までくるように言われたため、同シヤツを脱いで被告人方玄関から入つて右側八畳間の東側に接した六畳間の鴨居に打ちつけてあつた衣服掛けにこれを掛けて着替えの上同警察署に出頭したが、その後同日午後四時一五分から一時間にわたつて警察官により家宅捜索がなされ、本件白シヤツが右衣服掛より押収されたこと、同シヤツは普段物置小屋の傘などが置かれている入口のところに掛けてあるもので、松の木の手入れをするときに、これを出して着たものであつたことが認められる。
2 ところで司法警察員作成の昭和二四年一一月一二日付関係書類追送書添付の本件白シヤツの写真三