Page:Retrial judgement of Hirosaki incident.pdf/66

提供:Wikisource
このページは校正済みです

それにしてはこれまで述べてきたようにかくまでに微細な点に至るまで客観的証拠と合致するような供述をすることは到底できるものではない。そこに第三者の示唆介入があつたと仮定しても、その第三者が〔己〕の前記告白の動機まで作り上げることはできないことであり、前記証人〔乙26〕の供述記載および録音テープによれば、〔乙26〕が本件にかかわり合いを持つたといえば同人が宮城刑務所を出所した当日即ち昭和四六年四月末頃一回〔己〕に会つて、更めて告白の事実を聞き、半信半疑の中にも見物がてら事実の有無を確めるべく同年五月中三回始めての土地である弘前市に出向いたことであつてその間一、二回〔己〕と調査の結果を話合い、弘前市の図書館で当時の新聞記事に目を通し、また同年五月二八日頃那須方に保管されていた裁判記録を借受けて、これを南出一雄弁護士に取次いだこと位であることが認められる。この程度のかかわり合いしか持たない〔乙26〕が、〔己〕と協力して、かくまでに証拠と合致した架空の事実を作り上げるということはできることではない。ましてや〔己〕が南出一雄弁護士事務所で同弁護士に対し、本件犯行の状況を詳細にわたり告白したのは同年六月五日であり、那須隆の前記裁判記録を同弁護士が受取つたのは、その僅か八日程前の同年五月二八日頃であるから、何人と雖もこのような短期間に複雑かつ微妙な証拠を微に入り細をうがつて調査し、〔己〕のために架空の供述を作り上げる作業をすることは不可能である。領置にかかる新聞記事の記載には、証拠に符号する〔己〕の供述の微細な点まで触れたものはない。この点の検察官の疑惑は当をえたものとはいい難い。
 これを要するに〔己〕の供述は証拠によつて認められる客観的事実にまことによく符合していることが明らかで、僅かに被害者の母〔乙2〕および長女が同室に就寝していたことを知らなかつたこと、〔乙2〕が「〔甲