Page:Retrial judgement of Hirosaki incident.pdf/61

提供:Wikisource
このページは校正済みです

検察官に対する供述調書の記載によれば、同人は「私は〔乙〕方の五女で、昭和二四年八月頃は在府町の家に両親等と居住していたが、その頃〔戊2〕洋裁学院に通つていたのでシンガーミシンを私の部屋に置いており、その修理は常日頃土手町の〔戊3〕ミシン店に頼んでいたが、〔己〕ミシン店の前に洋裁店があつて、私の姉がよくその店に洋服の仕立を頼みに行つていたことから、近くにミシン店があることを知り、本件殺人事件のあつた頃そこに頼んでみようということから、〔己〕ミシン店に私がミシンの頭を外して持つてゆき修理を頼んだことがある。修理が終つて同店の親父さんでなく息子がその頭を取付けに来た。そのとき私の部屋で作業したのであるが、そこに丁度私の小学校時代の同級生〔乙50〕が遊びに来ていたので、若しそのとき二〇才前後の娘が二人いたと云つているのであれば、この〔乙50〕と私のことを云つているのではないかと思う。」と述べており、〔己〕の前記供述の正確性を十分に裏付けている。

⑵ 〔乙〕方表門の正面(西方)に同人方勝手口があつたことは、昭和二五年四月二一日付原一審検証調書により明らかである。
⑶ 〔己〕が「自宅に戻り……休んだ。そのとき〔乙25〕は自分の寝室とカーテンで仕切られてある店の方で寝ていた。」と供述するところは、棄却審証人〔乙25〕の証言によりこれを認めることができる。
⑷ 犯行の翌日「百石町にある映画館大和館に行き、その二階のスクリーンに向つて左側の便所内に凶器を捨てた」と供述するところは、検察官に対する〔乙51〕および〔乙31〕の各供述調書の記載に