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 そうすると犯行当夜は引き戸について十分な施錠がなかつたため、〔己〕の供述するごとく引き戸の腰板に手をかけて、その手加減によつて同戸を外から容易に開けることができたということも十分に考えられるところである。

4 縁側の巾員と供述の関係

 次に〔己〕が縁側の巾員につき供述するところを検討する。
 棄却審証人〔乙47〕の供述記載(第一、二回)および同検証調書の記載によれば、〔乙〕方では昭和三六年六月に、本件犯行現場となつた離座敷を二階部分共そつくり母屋から切り離して曳行し、表門から入つた正面(北方)突き当りの奥まつた箇所に(当初の位置からは、母屋を隔てて南西方の箇所。したがつて、本件犯行当時の母屋の勝手口のあたりは、右曳行前に取り払われていた。)移築し、東側窓を含む東側壁面の部分に廊下、玄関および部屋等を継ぎ足してモルタル塗を施し、縁側は巾約九〇センチメートル広くして、その分だけ座敷を狭めたことが認められる。そして棄却審検証において、〔己〕が犯行当時の縁側の巾は這うようにして三、四歩で渡れたとして指摘した地点は、右事実に副うごとく現況の縁側と座敷との間の敷居より約八〇センチメートル南側の位置であつた。
 この縁側の巾に関する〔己〕の供述と指示説明は極めて信憑性が高いというべきである。

5 本件凶行および潜り戸のところまでの逃走の状況

 次に〔己〕が本件凶行および離座敷から戸外に出て潜り戸のところまで逃走した状況等につき供述するところを検討する。