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  当時、同研究所の屋上にはダンスホールがあり、同ホールにはダンスをしに「しよつちゆう」行つていて、その際研究所の門から入つて約二〇メートル先の北方寄りにある小屋に附属している便所を使用したことがあつたから、その小屋の傍を抜け、便所の裏(東側)の暗いところに行つたところ、そこに井戸があつた。井戸のあることは、そこに行つてみて初めて知つた(〔己〕は異議審では井戸があることは前から知つていたと述べ前記上申書も知つていたことを前提にした供述が記載されている。)。そこで鞘代りにしていた布を凶器に巻きつけて三〇秒位で同所を出た。
12 同所を出るとき、自転車に乗つて北方から近づいて来た人がいたが、それを通過させてから、研究所を出て、別紙図面㈡のとおり右方(北方)へ進み、突き当つて左方(西方)へ折れ、那須隆方前を通つて茂森町に出た。それからその通りを右方(北方)へ進み、さらに右方(東方)に折れて覚仙町の通りを東進し、突き当つて左方(北方)へ曲つて本町に出て、次に右方(東方)、さらに進んで右方(南方)に曲り、当夜午後一二時前頃に自宅に戻つた。
  木村産業研究所のほかには、途中立ち寄つたところはないし、一人として行き会つた者はいなかつた。
  自分がこのように遠回りして自宅に戻つたのは、警察犬を使つてにおいを追跡されるという心配が瞬間的に頭にひらめいたからである。
13 自宅に戻り、屋外の水道で手に着いた血を洗つてから居間に入り、凶器は家の中の天井裏に隠した後、休んだ。そのとき〔乙25〕は自分の寝室とカーテンで仕切られてある店の方で寝ていた。ところ