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ことができる」「本件犯行の起つた日時及びその直後における被疑者那須の行動、被害者に対する関係その他被疑者那須の警察官及び検察官に対する供述を検討してみると精神医学者、精神分析学者としての鑑定人は、凡ての事実を各方面から又あらゆる角度から考察し、被疑者那須は少くとも心理学的にみて、本件の真犯人であることの確信に到達するに到つた」としている。しかしながら右判断の資料として考えられるものを検討してみると、原一審証人〔乙20〕、〔乙36〕、〔乙3〕らの「ねちねちしている」「ねつちりした尻の長い人だ」「現実的でない事を考えている人だと考えられる」「奇抜な思想の持主であるらしく、特に女の話などに就ては『強姦』とか『殺人』とかいう言葉が出たりした」という供述からどうして「残忍性を包藏し」「……猫のような態度がその反動である」といえるのか、また原一審証人〔乙37〕の「友人が死亡すると那須隆は誰よりも早くそれを知り、花を上げなければならないと友人の間を歩くのは不思議な点であり、偶然にその家に行つて聞いて来るのが一寸解せない位早い」という供述からどうして「偽善的」「博愛主義的傾向」という評価がでてくるのか首肯するに足るものがなく、右〔乙37〕や元の雇主の供述である「一種の性格破綻者」とか「人によつて都合のよいように言う」とか「極めて陰険かつ狡猾で図太い」とかいうところから「精神における分裂的傾向、両極的相反性傾向、所謂二重人格的傾向等はいずれも相当顕著で」「これらは広義の変質的傾向とみて差支えないものである」としているが、右資料を同鑑定人自身が正しいものとして把握できたとする検討の過程は見当らない。要するに右鑑定書の内容を仔細に検討すれば、個々の資料に対する検討が不徹底で、全般的に独自の推理、偏見、独断が目立ち、鑑定結果に真犯人まで断定するに至つては、鑑定の科