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および検察官に対する同月一四日付各供述調書の記載、原一審証人〔乙18〕、同〔乙22〕、同〔乙45〕、同那須とみ、同〔丁2〕、同〔乙34〕、同〔乙43〕の各供述記載によれば、被告人は弘前市に所在する東奥義塾中学に在学中はそれ程目立つことのない、おとなしい生徒であつて、昭和一八年三月同校を卒業した後一時満洲国興安総省に開拓団の経理指導員として赴いたが程なく帰国し、昭和二〇年五月頃青森県通信警察官を拝命したものの仕事としては専ら電話工事に従事していたため、司法警察官を強く希望して昭和二一年三月三一日付で右通信警察官を依願退職し、警察官の募集を待ちつつ、林檎店の事務員や種苗店の外交員などを勤めていたが、昭和二三年夏頃から本件により逮捕されるまでの間は定職がなく、自宅において耕作、掃除など家事の手伝いに従事していたもので、およそ被告人の知人、友人、雇主、近隣の者やその家族らが被告人について語るところは、真面目、努力型、仕事熱心であり、また温順で親切で近所の世話をよくしてくれる、頭脳は明断であり、博学であるが、自説を曲げない強情さや勝気な一面がある、金銭に関しては不正はなく、強情さがなければ模範的であるというのである。そして被告人の精神鑑定をした原二審鑑定人石橋俊実の鑑定書の記載によれば、被告人が変態性慾者であるという断定は下しえないとしている。右認定の事実に照せば、検察官の仮説が仮に当をえていたとしても、被告人を変態性慾者と認めるべきなんらの傾向も存在しないのであるから、検察官のこの点の主張は採用の限りでない。尤も原一審鑑定人丸井清泰作成の鑑定書の記載によれば、「表面柔和に見えながら、内心即ち無意識界には残忍性、サデイスムス的傾向を包藏しており、相反性の性格的特徴を顕著に示す」「精神の深層即ち無意識界には、婦人に対する強い興味が鬱積していたものとみる