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つた。ところが引田教授が検査を開始した翌日頃、何ら理由を告げることもなく同警察署では右鑑定物件を全部同教授の手許から引上げ、同年八月二七日国警本部科学捜査研究所の〔丙3〕・平嶋両鑑定人に、このうち本件白シヤツおよび白ズツク靴の二点を取出し血痕鑑定を嘱託して引渡したため、引田教授は本件白シヤツの斑痕についての調査はてきず仕舞いに終り、既に検査の完了していた浴衣に認められた褐色斑痕、白ズツク靴、革バンド等に認められた暗色斑痕についてはすべて人血反応を認めることはできない旨の鑑定結果を報告した。ところが同月三〇日鑑定を実施した〔丙3〕・平嶋両鑑定人は、本件白シヤツの左襟の部分別紙図面㈢A点に「血痕様の褐色斑痕」を認め、検査の結果ルミノール反応、ベンチヂン反応共に陽性で、B型の反応を示したが、他の資料からの血痕証明はできなかつた旨鑑定していることが認められる。ところで〔丙3〕・平嶋鑑定における右褐色斑痕が人血とは認められないものであることは前記説示のとおりであるから、以上を総合すると本件白シヤツが引田教授の手を経て〔丙3〕・平嶋鑑定人の手許にあるまでの間それに附着していた斑痕の色合いは、「醤油のこぼれたようなしみ」「帯灰暗色」「褐色」といつたような色合いで表現できる程度のものであつて、本件犯行現場附近の路上から採取した血痕とは色調からして著明に相違したものであつたということができる。

  因みに当審において取調べた引田教授の「血痕の経時的変色に就いて」と題する昭和一五年一〇月二一日付発表の論文についてこれをみるに、同人は瀘紙上に家兎血液を一滴滴下したものを多数作り、これらを屋外、室内、暗所の三条件に分けて実験を試みたのであるが、⑴暗所に置い