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書、同月二三日付捜索調書、差押調書、同月二四日付捜索差押許可状、同月二五日付領置調書の各記載によれば、弘前市警察署では同年八月二二日被告人方より本件白シヤツ一枚、白ズボン一枚、拳銃一挺を、同月二三日には国防色ズボン二着、同ワイシヤツ一枚、白シヤツ六枚、靴下二足、革バンド一本、ノート一冊、小手帳二冊、手紙六五通、名刺五枚、赤皮編上靴一足を、同月二五日には黒ズボン一着、浴衣一枚、革バンド一本、白ズツク靴(運動靴)一足、白運動シヤツ一枚をそれぞれ押収したうえ、同警察署長は当時弘前医科大学ならびに青森医学専門学校で法医学の講座を担当していた引田一雄教授の教室に、これら押収物を行李様の箱に雑然と詰込んで運ばせ、血液の附着したものがあるかどうかの鑑定を依頼した。同教授は北海道帝国大学医学部を卒業し、弘前医科大学に赴任する前台湾台北帝国大学に在職していた当時「血痕の経時的変色について」と題する研究論文を発表している程の業績をもつ学者であり、本件発生と同時に同警察署より路上血痕の鑑定等を委嘱され、その鑑定に従事していたのである。同教授は行李詰めの前記押収物件を受取り鑑識係員と共に一点一点全部に目を通し、血痕とまではゆかなくとも黒ずんだしみのあるものを引出し、そのうちでも濃い色合いのものから順次ルミノール反応等を試み検査を進めた。その際本件白シヤツについては、肉眼で一応目を通しただけで詳しくは調べなかつたが、左肩から胸にかけて「赤褐色」とは思われない灰色がかつたあせたような黒ずんだ色(帯灰暗色)の斑痕が二、三点あつたのを認めたが、それは本件犯行現場附近の路上から採取した血痕(後記に詳述する)とは色調からして著明に相違したもので、これを血痕とした場合でもずつと古いものと思われるものであ