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の血痕については、同月一〇日付で松木明宛鑑定嘱託がなされ、同月一五日付で同人の鑑定書が提出されているのである。ところが本件白シヤツについては、同年一〇月一五日松木、〔丙〕宛鑑定嘱託がなされ、同月一九日付で右両名の鑑定書が提出され、白ズツク靴についても、右と同一日付で嘱託され、鑑定書が提出されているのであるから、本件白シヤツを、〔丙3〕、平嶋鑑定人に鑑定を嘱託する以前の時点で、かつ引田教授が検分した前後の頃に松木明に鑑定嘱託したという事実は証拠上認められない。若し鑑定を嘱託しておれば、右の各鑑定と同様本件白シヤツおよび白ズツク靴についても鑑定嘱託書と共に鑑定書が提出されていてよい筈である。当審における照会によつても明らかなとおり本件白シヤツについてはそれが存在しないということは、その時点では松木明、〔丙〕両名共本件白シヤツの血痕鑑定はしていなかつたと考えるほかはない。この点は〔丙〕作成の本件白シヤツの写真撮影が同年一〇月一〇日付でなされていることからも窺われるところである(関係書類追送書―一七五九頁参照)。そうすると〔丙〕が証言するところの、本件白シヤツに対するルミノール反応は人血でかつB型であつたというのは、〔丙3〕、平嶋鑑定以後のことであつて、昭和二四年一〇月一九日付鑑定書作成の際の検査結果を証言しているとみるほかはない。だとすると同証言でもつて本件白シヤツ附着の斑痕の前記色合いの違いを否定する証拠とすることはできない。

  原二審では、当時の弘前市警察署捜査課長をしていた〔丙6〕を証人として尋問しているが、その問答は次のとおりである。