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ら、それは現場附近路上の血痕とそれ程変らない色合いをもつた血痕として附着していたと思われるので、引田教授がそれを路上血痕と著明に相違していたと見誤るようなことは到底考えられない。そればかりではない、那須が被害者の返えり血を浴びたこととなるそのような生々しい血痕を附着せしめたまま、そのシヤツを前記のとおり着用していたということも考えられない。殊に本件では那須は凶器を隠匿したこととなつているのであるから、凶器を隠匿した程のものが返り血を浴びた本件白シヤツを平然と着用していたということは、常識では考えられないことである。これらの点から考察しても本件白シヤツ附着の斑痕について、引田教授の識別した色合いは「帯灰暗色」であつたとみるのが相当である。この点に関連があるものと思われる前記証人古畑種基の証言は必ずしも右認定を妨げるものではない。原一審証人〔丙〕は「松木医師の所で靴やシヤツの血痕を検査したところルミノール反応が現われ焼光を呈して人血でかつB型であつた。しかし自分達の鑑定だけではと思い権威筋にも鑑定を依頼した」という趣旨の証言をしているが、それが何時の時点での検査であつたかは明確でない。原一審記録によれば、〔乙10〕方玄関前敷石等の血痕鑑定については、昭和二四年八月九日付で松木明宛鑑定嘱託がなされ、同年八月三〇日付で同人の鑑定書が提出されており、木村産業研究所前路上血痕については、同月一二日松木明宛鑑定嘱託がなされ、同月三〇日付で同人の鑑定書が提出されており、又覚仙町〔乙28〕方石上の血痕については、同月一四日松木明宛鑑定嘱託がなされ、同月三〇日付で同人の鑑定書が提出され、那須方裏石上血痕については、同月二〇日松木明宛鑑定嘱託がなされ、同月三〇日付で同人の鑑定書が提出され、笹の葉上