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五年までの間に既に裁判所の依頼等で人体解剖を多数取扱つており、血痕鑑定等については固より豊富な経験をもつ法医学者であつた。そして本件発生と同時に弘前市警察署より路上血痕の鑑定等を委嘱されてその鑑定に従事していたのである。同教授は行季詰の前記押収物件を受取り鑑識課員と共に一点一点全部に目を通し、血痕とまではゆかなくとも黒ずんだしみのあるものを引出し、そのうちでも濃い色合いのものから順次ルミノール反応等を試み検査を進めた。その際本件白シヤツについては、肉眼で一応目を通しただけで詳しくは調べなかつたが、右肩から胸にかけて赤褐色とは思われない灰色がかつたあせたような黒ずんだ色(帯灰暗色)の斑痕が二、三点あつたのを認めたが、それは本件犯行現場附近の路上から採取した血痕とは色調からして著明に相違したもので、これを血痕とした場合でもずつと古いものと思われるものであつた。およそ人血がシヤツ等に附着したときは、最初は赤褐色を呈し、日時の経過と共にあせてくるものであるが、直接大気にさらされないような場合は数ケ月間は変らず、箪笥の中などに入れておけば一年以上も赤褐色を保つものである。それを着て毎日作業していたとしても一か月や二か月で帯灰暗色に変色するということはなく、洗濯した場合でも帯灰暗色に変ることはないのである。ところが引田教授が検査を開始した翌日頃何ら理由を告げることもなく、同警察署では右鑑定物件を全部同教授の手許から引上げ、同年八月二七日〔丙3〕、平嶋両鑑定人にこのうち本件白シヤツおよび白ズツク靴の二点を取出し、血痕鑑定を嘱託して引渡したため、引田教授は本件白シヤツの斑痕についての調査はできず仕舞いに終り、既に検査の完了していた浴衣に認められた褐色斑痕、白ズツク靴、革バンド靴どめに認められた暗色斑痕につ