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⑵ ところでこの白シヤツに原二審判決が認定するとおり、被害者〔甲〕の血液型と同じB、M、Q、E型の血痕が附着していたことは、原審がその挙示する証拠により詳細認定するところで、この認定は当裁判所においてもこれを首肯できるところである。
⑶ 原一、二審および当審証人引田一雄、原二審証人平嶋侃一の各供述記載、引田一雄作成の昭和二四年九月一日付鑑定書、〔丙3〕、平嶋両名作成の同月一二日付鑑定書、同年八月二二日付捜索差押許可状、捜索調書、差押調書、同月二三日付捜索調書、差押調書、同月二四日付捜索、差押許可状、同月二五日付領置調書、同月二四日付弘前市警察署長より引田一雄宛鑑定嘱託書の各記載によれば、弘前市警察署では、同年八月二二日丙宅より海軍用開襟白色シヤツ一枚白色ズボン一枚、拳銃一挺を、同月二三日には国防色ズボン二着、同ワイシヤツ一枚、白シヤツ六枚、靴下二足、革バンド一本、ノート一冊、小手帳二冊、手紙六五通、名刺五枚、赤皮編上靴一足を、同月二五日には黒ズボン一着、浴衣一枚、革バンド一本、白ズツク靴(運動靴)一足、白運動シヤツ一枚をそれぞれ押収したうえ、同月二四日頃同警察署長は、当時弘前医科大学ならびに青森医学専門学校で法医学の講座を担当していた引田一雄教授の教室に、これら押収物を行季様の箱に雑然と詰込んで運ばせ、血痕の附着したものがあるかどうかの鑑定を依頼した。同教授は北海道帝国大学医学部を卒業し、弘前医科大学に赴任する前、台湾台北帝国大学に在職していた当時昭和一六年四月二八日発行の台湾医学会雑誌四〇巻四号、血痕の新旧判定に関する研究第一編誌上に「血痕の経時的変色について」と題する研究論文を発表している程の業績があり、弘前に勤務して以来昭和二三年より昭和二