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須に対する昭和二四年九月四日付供述調書中には「私はピストルは持つて歩いて見せたことはありますが、匕首やジヤツクナイフを持つて歩いたことはありません。若し私がジヤツクナイフを持つて歩いたというのを見たという人があれば私はそれを認めます。」という同様な供述記載があるところがらみれば、ジヤツクナイフの所持は勿論犯行自体を否認している那須には、無実の自信が根底にあつたからどうでもよいという気持で他愛のない無責任な供述をしたということも考えられる余地があるのであつて、結局右aの供述記載部分をもつて犯行を容認した趣旨と解することはできず、これを有罪認定の証拠とする根拠は極めて薄弱である。

b 右(イ)、bの供述記載部分は、その供述調書中冒頭記載部分であるが、同記載の直後には、「八月六日の晩のことについては、今またお尋ねの様であるか、私は確か大和館に前編の四夜(四谷の誤記と認める)怪談を見るに参つたと思うが、もしも晩に行つていないとすれば六日の晩は一体何をしているのであるか私の頭に浮んで来るものはありません。」との記載があり、また右供述の翌日の同月九日付司法警察員に対する供述調書中には「八月六日の晩の自分の行動が自分に判らないとしても、私はその犯行とは全然関係ない。」旨の供述記載があるのであつて、これらに照すと右bの供述記載部分は決して犯行を認める趣旨で述べたものとは認められない。寧ろこの供述も前項で述べたと同様他愛のない無責任な供述をしたとみる余地が十分にあるからこの供述も有罪認定の資料とするに足りない。
c 次に右(イ)、cの供述記載部分に続いて、同証人〔丙2〕は「自分はその時那須が犯人でない