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述の信憑性は極めて高い。」としているのである。〔己〕が証拠の内容を微細な点まで了知する機会がなかつたことは一件記録上明らかであるから、その供述の信憑性は極めて高いことに帰するといわなければならない。

⑹ 原審は「逃走経路」の項で、「〔己〕の供述するところの『凶器を手に掴んだまま潜り戸から出て右方(南方)へ曲り……血が垂れていたので垂れないようにしようとして木村産業研究所の中に入つた』(そして同所内で)『布を凶器に巻きつけて……同所を出た』(それから)『右方(北方)へ進み……茂森町に出た』という経緯はまことによく符合するものということができる。」……「しかしながら、右路上の滴下した血痕の状況についても……当時の新聞記事は詳細であり、……すなわち『犯行現場から同町木村産業研究所前まで約百米の間に点々として残つている血痕は……』(当審新聞記事中昭和二四年八月九日付東奥日報)、『木村産業研究所前で止つていた血痕をさらに北方に延びた同町某家入口の庭石から発見』『同町沖中益太氏前の空地にあるふだん使用していない古井戸にかけているむしろが半分程ずれていることから、凶器を捨てた場所とも推定されるので』(同月一〇日付東奥日報)『血痕は屋敷内に三個、門を出て〔乙9〕さん宅に至る七十米の道路上に点々と十九個認められ、最後の血痕が一か所に七個も集まつている』(同月八日付陸奥新報)、『道路上に残した血痕は更にのびて凶行場裏手の木村産業研究所前コンクリート道路上に二滴及び四ツ角〔乙35〕氏宅前に一滴の血痕が新たに発見された』(同月九日付陸奥新報)、『木村産業研究所向い空地古井戸の井戸水の科学品鑑定を進める一方、井戸水をカイたが凶器らしいものは発見