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〔乙26〕がそのように本件の微細な点まで立ち入つて丹念に調査し、これを記録して帰つたという証拠は全くない。昭和四六年五月二、三日頃の朝弘前市に着いた〔乙26〕は、〔乙34〕方に行き、図書館で新聞を調べ、〔己〕から地図を書いて説明された現地に当つてこれを調査し、その日の夜には弘前市を発つているのである。このような〔乙26〕が「犯人が東側窓下に立ち、室内の様子を窺つた」ことまで調べ上げて〔己〕に教示したということは到底考えられることではない。この点は寧ろ〔己〕の供述が真犯人でなければなしえない程客観的事実に符合しているとみるべきである。

⑶ 次に「引き戸の施錠」の項で原審は「犯人の侵入口が縁側の引き戸であることを新聞が詳細に報じているところであるので、〔己〕の供述が証拠との関係において符合することをもつてたやすく同人を真犯人と断定するには至らない(当審新聞記事中昭和二四年八月八日付東奥日報―殊にその掲載図参照、同日付陸奥新報参照)。」としている。〔乙26〕が右陸奥新報を閲読していることは事実であるが、もともと果して〔己〕のいう事件があつたかどうかという大ざつぱな調査を目的として出かけている〔乙26〕であつてみれば、そのような微細な点まで事実を確めて〔己〕に教示したということは到底考えられない。この点の〔己〕の供述に合理的な疑いを挿む余地はないというべきである。
⑷ 更に「縁側の巾員」の項で原審は「〔己〕の右縁側の巾の点に関する供述は、およそ原審の裁判記録とか、〔乙26〕の前記調査などからは容易に知りえないところに関する供述として極めて信憑性の高いものというべきところであるが、ただ右当審検証㈠の際には、右曳家をした〔乙47〕が縁側部分