Page:Retrial decision of Hirosaki incident.pdf/37

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同人の母に、このことは南出弁護士に調べて貰つた方がよいからと話して、風呂敷に包んだ裁判記録のようなものを預かり、夜行で弘前を発つた。夜汽車の中では警察犬のことが記載されている調書をばらばらめくつた程度で、あとは疲れて記録を枕にして就寝し、翌朝仙台駅に着き、まつすぐ南出弁護士事務所に右記録を持参し、同弁護士に預けた。その後NETテレビ局の人達と弘前に出かけたが、弘前に赴いたのはそれが最後であつた。自分がこのようなことをしたのは、〔己〕のいうことの真偽を確めることも勿論であつたが、自分は最初の罪で刑に服したとき、捜査官の取調が一方的で強権的であり、自分達のいうことは殆んど聞き容れて貰えないまま服役せざるを得なかつた苦い経験があつたので、〔己〕のいうことが本当であれば、那須もボケツとしていたというから自分と同様何もいえないまま服役してしまつたのではないかといつた同情の念が強く働いたと思う。本件をたねに金儲けしようと考えたことは全くないし、仮に本件をデツチ上げて金儲けを企んでみたところで、弁護士や裁判官、検察官に到底立ち打ちできる筈のものでもないこと位は誰にでも判ることであるから、そのような考えは毛頭なかつた。」概略以上の趣旨のことを供述しているのである。

 これによれば、〔乙26〕の知識は寧ろ〔己〕の供述を現地で確めるという程度の極めて消極的な知識でしかなく(相違したところが沢山あつたという記憶も〔己〕の供述と現地の模様の違いを記憶していたと思われる)、図書館で調べた新聞記事は前記の一部のみと述べてはいるが、同証人の証言中には同記事に記載がなく、他の新聞に記載されている事実に触れている部分があるので、同人は右一部にのみ現在も尚強く印象が残つていたものと思われ、これは同時に他の新聞記事に対する同人の関