Page:Retrial decision of Hirosaki incident.pdf/36

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観光をかねて〔己〕の話が本当かどうかを確めてみようと思い、同月二八日夜行で弘前市に出かけた。駅に降りて駅前の市場や街の食堂に入り、年輩の人を捉えてはそれとなく事件のことを聞いてみた。その中で那須という人が犯人だという話が出て、那須の家を聞き尋ね歩いて同人の昔の家の隣家に住む〔乙34〕に会つた。同人は、那須が犯人であつたが、一見ボケツとした感じで人殺しをするような人ではないのだという話を聞かせてくれた。その日はその程度聞いただけで帰つたが、やはり〔己〕のいうような事件はあつたのだなと確信がもてた。それでもつと詳しく聞くため〔己〕に会つた。メモは取らなかつたが、もう少し調べてみることにした。〔己〕は犯行現場附近の地図、逃げた道順を書いて説明した。同年五月二、三日頃また一人で弘前に出かけた。〔乙34〕方を訪ね事情を聞いたところ、図書館にでも行つて当時の新聞を見れば判るのではないかと教えられ、図書館に行き、昭和二四年八月の地方紙の綴りを出して貰い、そのうちの陸奥新報八月八日付の記事一部のみを見た。別にメモ用紙を用意して行つたわけでもないのでメモはとらなかつた。現場など判からなかつたが、木村産業という会社が判つた。その結果例えば、〔己〕は血だらけのまま表に飛び出し凶器を早く捨てようと思つて木村産業の井戸に行つたが捨てずに又逃げたというのであつたが、そこには井戸はなかつたし、その外にも相違しているところが沢山あつたように記憶している。しかしこれは本当かも知れないと思うようになつた。それで本職の弁護士に相談した方が良いと考え、丁度〔己〕が時効のことを心配していたので、そのことを聞くため、その頃仙台駅前の南出弁護士事務所を訪ねたが、まだ事件のことは話さなかつた。三回目は同年五月二八日頃で、その日は那須方に行き、