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も明らかなごとく、〔乙26〕は宮城刑務所内で〔己〕から本件殺人事件の真犯人は同人であるということを聞いた後同刑務所より出所し、昭和四六年四月末頃に、既に同様出所していた〔己〕と同事件について話をし、次いで弘前に赴いて図書館等で新聞記事等を調べ、また請求人から事件記録など関係書類を借り受けることがあつて、これらにより同人は本件殺人事件についてかなりの知識を得たであろうことが推測され、また同人が右知識を得た後も何度か〔己〕に対し同事件のことを質しているということである。したがつて〔己〕の供述内容が右〔乙26〕の知識に由来するところなしとはたやすく云い難いところであるから、その供述が証拠と一致することをもつて、軽々に〔己〕を真犯人なりと判断することはできず、さらに諸般の情況に照らしその信憑性の検討を尽さなければならない」としているので、先づこの点について考察するに、

⑴ 原審および当審証人〔乙26〕の供述記載によれば、「病舎で〔己〕が人を殺したということを真剣に話したが、自分は半信半疑であつた。それは一回だけのことであつたが、〔己〕の話では身寄りもなく出所後の生活の目処もないというので、本人の更生に手をかしてやりたいと思い、自宅の電話番号を教えた。昭和四六年四月二五日出所したところ、〔己〕も迎えに来てくれていたので驚いたが、家族の者と一緒に連れて自宅に案内した。そこで〔己〕は二〇何年か前の夏弘前で教授夫人を殺した。自分は別の事件で逮捕されたので嫌疑がかからず免れたが、その代り外の人が逮捕されて服役してしまつたと話した。そのときも自分は半信半疑であつた。出所した者は暫らくは解放感に浸つてどこにでも出歩きたくなるものである。自分は旅が好きなので、弘前は始めてのところであり、