Page:Retrial decision of Hirosaki incident.pdf/33

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れも一階の便所のそれと共通)から刃物が出てきたという記億はないと述べている。しかし作業の進行に伴い便壷は解体土砂等で埋没してしまうであろうし、捨てられた凶器も土砂に埋れたまま他に投棄されてしまうことは十分にありうることであるから、記憶がないということは、凶器がなかつたということにはならない。

⑷ 継母〔乙32〕に対し、差し入れの弁当箱に隠した紙片をもつて本件犯行のアリバイ工作をしたと供述するところは、原審証人〔乙32〕においてこれを否定している。しかし前記のとおり捜査官はその当時〔己〕のアリバイの捜査を進め、その結果嫌疑を抱くに至らなかつたという事情から推察すれば、それは〔己〕の右アリバイ工作が成功していたからではないかと思われるので、この点は寧ろ〔乙32〕の今更殺人という忌わしい出来事に巻き込まれたくないという思惑によるものか、さもなければ記憶違いではないかと推察されるので、〔己〕のこの点の供述に不信を問うことはできない。
⑸(イ) 原審証人〔乙33〕の供述および原審押収にかかる書簡二四通によれば、〔己〕は前記強盗傷人事件で秋田刑務所拘置所に留置されていた頃から、自分のこれまで歩んで来た罪深い過去を反省し、「生」に対する真剣な悩みがキリスト教を信仰することによつて救済されることを知り、偶々知り合つた修道女との間に文通を重ね、その間本件をにおわせるような「このまま打ち明けないでかくし通したとき死後の運命はどうなるか」といつた質問を出して教えを乞い、贈られた聖母マリヤの像を肌身離さず持つて朝晩祈りを捧げ昭和四六年三月七日宮城刑務所を出所するまでこの文通は続いていたことが認められる。