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あつた。
- ⑷ 木村産業研究所の階上は、本件発生当時ダンスホールに使用されており、井戸は〔己〕の供述する箇所にあつて、直径一メートル位で、今次大戦前からあつたが、その終戦時には既に使用しておらず、木村産業研究所の者らは長いことその所在すら知らなかつた。同研究所の管理者は、本件再審請求がなされてよりこれを探し、同井戸傍の小屋を修理していた大工に教えられて始めてその所在を知つた程であつた。そして右小屋附属の便所は、終戦直後一時使用していたものである。
- ⑸ 原一審鑑定人古畑種基は、〔乙〕方屋敷内から木村産業研究所前に至る前記各血痕は、犯人の歩行にしたがつて、犯人自身或は犯人の携行物件から血液が滴下して生じたものであると認めることができるとしているから、前記路上血痕は被害者の血痕によるものとみてもなんら矛盾するところは認められない。また前記(5⑴)の〔乙〕は警察官が現場に来る前に表門の所に赴いたところ潜り戸は一尺三寸位(約三九センチメートル)開かれてあつたというのである。
- ⑹ 以上によると〔己〕が供述するところの「凶器を手に掴んだまま潜り戸から出て、別紙㈡のとおり右方(南方)へ曲り、進んでまた右方(西方)へ、さらにその先を右方(北方)へ曲り進んだが、血が垂れていたので垂れないようにしようとして、木村産業研究所の中に入つた。当時同研究所の階上にはダンスホールがあり、同ホールにはダンスをしにしよつちゆう行つていて、その際研究所の門から入つて約二〇メートル先の北方寄りにある小屋に附属している便所を使用したことがあつたから、その小屋の傍を抜け便所の裏(東側)の暗いところに行つたところ、そこに井戸があつ