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況について犯行当時すべてにわたり明確な認識をもつわけのものではないのが通常であるから、この程度の相違は、それ程重要なこととは認められない。

2 東側窓からの見透し
⑴ 本件犯行当時には、北側の窓には固く錠がかけられていたが、東側窓の室内より操作する落し錠は外れていた。そしてその窓下には繁つた草の上に、窓から室内を覗く際に踏みつけたと思われる足跡が薄く残つていた。
⑵ 東側窓は丈約一二四センチメートル、巾(ただし枠内側の巾)約三六・五センチメートルの硝子戸四枚からなり、その両側の二枚づつが縦に蝶番で結合されて、その各二枚づつが折畳まれるようになるほか、さらにその各全体が外側へも開かれる所謂観音開きの構造であつた。右各窓の硝子は四段となつていて、最上下の各一段は丈において中央二段より小さく、しかも横に二枚の硝子―中央二段は各一枚の硝子―が嵌め込まれてあつたが、硝子はすべて不透明であり、北から二枚目の硝子戸の下から三段目の上方隅に縦四寸(〇・一二一二メートル)横六寸(〇・一八一八メートル)の三角形状に硝子が壊れて穴があいていたが、同部分は地上から七尺余(二・一二一メートル余)の高さであつた。さらに南から二枚目の硝子戸の下から三段目は硝子が外されて、そのあとに煙突を通す穴(径約三寸五分―約一〇・六センチメートル)があいている亜鉛板が嵌め込まれてあつたが、同穴の位置も地上から約六尺七寸余(約二・〇三メートル)のところと認められる。そして東側窓には、同窓を十分覆う大きさのカーテンが取り付けられてあり、また東側窓の敷居下辺の高さは、