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の南端には四枚戸の引き戸が取り付けられ、さらにその南側はすぐ右庭園に続いていた。右引き戸の構造は、いずれの戸も腰板の上に四段の八枚の硝子が二枚づつ横に嵌め込まれてあるものであつたが、上の二段は透明硝子、下の二段はすり硝子であつた。また引き戸のすぐ外側には、縦四尺横一尺四寸高さ一尺(縦一・二一二メートル、横〇・四二四二メートル、高さ〇・三〇三メートル)の踏み石が置かれてあつた。右表門わきの潜り戸は当時錠がなく、開閉は昼夜を問わず常に自由な状況であつた。

⑵ 就寝状況
  被害者〔甲〕は夫松永藤雄の転勤にしたがつて、昭和二二年六月頃から長男(本件当時八才)および長女(同四才)を伴い〔乙〕方二階建離座敷に移り住むようになつたが、〔甲〕の実母〔乙2〕(当時五九才)は昭和二四年八月一日その居住地の桐生市をたつて翌二日右被害者方に着き、三日に夫藤雄は長男を連れて所用のため酸ケ湯温泉に約一週間の予定で赴いた。夫がいまだ留守中の同月六日は非常に蒸し暑い日で、被害者と〔乙2〕および長女の三名は、午後九時頃入浴し、同一〇時頃に離座敷階下の畳敷部分八畳の間に蚊帳(縦九尺五寸―二・八七八五メートル、横六尺七寸―二・〇三〇一メートル、高さ五尺三寸―一・六〇五九メートル)を吊り、南から順次被害者、長女、〔乙2〕の順で、枕を西、足を東に向けて床に就いた(別紙㈠参照)。
 ところで各布団の位置は、被害者と〔乙2〕の分は互に少し離して敷き、長女の子供用のそれは被害者の布団に略重なるように敷いたが、被害者の布団は右座敷とその南側の縁側との間の敷居から丁度