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森町に出た。それからその通りを右方(北方)へ進み、さらに右方(東方)に折れて覚仙町の通りを東進し、突き当つて左方(北方)へ曲つて本町に出て、次に右方(東方)、さらに進んで右方(南方)に曲り、当夜午後一二時頃に自宅に戻つた。木村産業研究所のほかには、途中立ち寄つたところはないし、一人として行き会つた者はいなかつた。

13 自宅に戻り屋外の水道で手に着いた血を洗つてから居間に入り、凶器は家の中の天井裏に隠した後休んだ。そのとき〔乙25〕は自分の寝室とカーテンで仕切られてある店の方で寝ていた。ところで帰宅後着衣を一寸みたが血は着いていなかつた。しかし念入りに調べてみたわけではない。
14 本件犯行の翌日新聞やラジオで本件「教授夫人殺し」のことが報道され、結果の重大さに驚ろいたが、弘前市百石町にある映画館「大和館」に行つて、その二階のスクリーンに向つて左側の便所内に凶器を捨てた。
15 また強姦致傷等の事件のため警察署内に拘束されていた際に、本件犯行についても三回位にわたつて自分が犯人ではないかということで取調べをうけたが、自分は頑強にこれを否認し、またその頃紙片に本件犯行の日とその夜は家に居たことにしてくれという趣旨のことを書いて、これを細く折つて差し入れの弁当箱の残飯の下に隠して家に戻したところ、その後保釈になつて家に帰つた際継母は右紙片を見たといつていた。なお右強姦致傷等の事件につき取調を受けていた際弘前市警察署内で洗面所に赴いた折に那須と顔を合わせたことがあつた。同人の弟は〔己〕と小学生当時に同級であつた関係から那須と〔己〕は相互に顔だけは知つていた。