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Page:Rashomon.djvu/8

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たうである。その上、今日の空模樣そらもやうも少からずこの平安朝へいあんてうの下人の Sentimentalisme に影響えいきやうした。さるの刻下りからふり出した雨は、未にあがるけしきがない。そこで、下人は、何を措いても差當さしあたり明日のくらしをどうにかしようとして――云はゞどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもないかんがへをたどりながら、さつきから朱雀大路すじやくおほぢにふる雨の音を、聞くともなく聞いてゐた。

 雨は、羅生門らしやうもんをつゝんで、とほくから、ざあつと云ふ音をあつめて來る。夕闇は次第に空を低くして、見上みあげると、門の屋根が、斜につき出したいらかさきに、重たくうすくらくもを支へてゐる。
 どうにもならない事を、どうにかする爲には、手段しゆだんを選んでゐるいとまはない。選んでゐれば、築土ついぢの下か、道ばたの土の上で、饑死うゑじにをするばかりである。さうして、この門の上へ持つて來て、いぬのやうにてられてしまふばかりである。えらばないとすれば――下人の考へは、何度なんども同じ道を低徊した揚句あげくに、やつとこの局所へ逢着はうちやくした。しかしこの「すれば」は、何時いつまでたつても、結局「すれば」であつた。下人は、手段しゆだんを選ばないといふ事を肯定こうていしながらも、この「すれば」のかたをつける爲に、當然たうぜん、その後に來る可き「盜人ぬすびとになるより外に仕方しかたがない」と云ふ事を、積極的せきゝよくてきに肯定する丈の、勇氣が出ずにゐたのである。
 下人は、大きなくさめをして、それから、大儀さうに立上つた。夕冷ゆふひえのする京都は、もう火桶ひをけが欲しい程の寒さである。風は門のはしらと柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗にぬりの柱にとまつてゐた蟋蟀きりも、もうどこかへ行つてしまつた。