このページは校正済みです
(
河上は、(いや――) と首を振り、彼女ならオツレルのワイシヤツの刺繍もよく觀察してゐるであらうと氣づいて、
『オツレルのワイシヤツに刺繍がありましたね、何でしたかね』
『あら、どうしたの――』
今日はオツレルが來ない日である。彼女はメモではなく口で返󠄁事をしてくれた。
『一寸、聞きたいんです』
『あれ……「赤い鴉」よ』
『やつぱり――』
河上は、深く頷いた。
『まあ、それがどうか……』
『いや、なんでもありません』
『あの……、あの、若しやレコードのことぢや……』
『えツ――』
河上は、急󠄁所を突かれたやうに美知子の顏を見詰めた。彼女は笑つたつもりなのか、片頰を歪めると、
『……さつき來られた方とレコードの話をされてゐるのが聞えたものですから……』
と眼を伏せた。河上は乾いた唇を二三度動かしてゐたが、
『さうですよ、さうです「赤い鴉」のレコードのことです』
『……!」
聲はなかつたけれど、その時擧げた、眞正面に河上に向けられた顏には、きのふからの彼女の憂はし氣な色は全󠄁く消󠄁えて、泌み透󠄁るやうな生氣が光つてゐた。
『そのレコード、何處にありまして?』
『――僕が、持つてゐます』
『まあ、よかつた。心配したわ……ありがたう、ずゐぶん探しましたわ、たしかに倉庫の棚に置いたんですのに、塵と一緒に捨てられたかと思つて……』
『……』
『きのふオツレルさんが明後日來るまでに出して置いて下さい、つていふんでしよ、すぐ倉庫に