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今回の事件は、余に取つては善なることを暗示するものにして、吾等の中、死を以つて惡なりと思へるものありとせば、彼れ誤謬たるなり。何となれば若し余にして惡に行かんとし、善に行かざらんとするや、例の異徵は必ず反對すべければなり。

吾等又た他の方法に於て思考するに、吾等が死を以つて善なりとなすに大なる理由あるを知るなり。何となれば死は兩者中の一ならざる可からず。即ち死は虛無、或は全然無意識の狀態のものなるか、或は人々の言ふが如く、靈魂は此の世界より他の世界に移轉することなるべし。今若し死は全然意識なく、眞の眠りにして、其眠りたるや夢にすらも妨げられざる如きものなりとせば、死は實に形容すべからざる利得なり。何となれば、若し人夜を撰擇するに當り、其安眠は夢にすらも妨害されざる夜を以つて、之れを彼の平常の晝夜に比較する時は、生涯中、此一夜に優りて樂しく、心地よかりし晝夜ありしことあらずと云はん。思ふに、何人と雖――一私人と云はず――或は大王と雖、此くの如き晝夜は多く之れを得ること難かるべきなり。若し死は此の如きものなりとせば、余は死を以つて