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同區の人なり。其の子クリトブロスも亦此に見ゆ。又たアイスヒネースの父なるスフェットス人リュサニアスも亦此處に在り。ケフィソス人アンチフォーンも亦見ゆ、之れエピゲネースの父なり。其他余と交際したる人々の兄弟の此の法庭にある者少なからず。テオスドチデースの子ニコストラトス、及びテオドートスの兄弟もあり(テオドートスは已に死せり、故に彼れ其の兄弟を制止することなかるべし)。又たデーモドーコスの子パラロスも此處にあり、彼れ其兄弟にテーアゲスあり、アデイマントスはアリストーンの子にして、其兄弟なるプラトーンも亦此處にあり。アイアントドーロスはアポロドーロスの兄弟にして、又た此處に余の見る所なり。此他尙ほ一々其姓名を枚擧し得ざるに非ず、而してメレートスは、其辯論中、此內の或者は之れを自己の證人として出ださんとせば出だすことを得たりしなるべし、されども、彼れ若し之れを忘れたりとせば、今と雖、彼れ尙ほ之を證人として出だすとも可なり、余は讓步する所あるべし。此くして果して彼れ其の欲するが如き證明を得べきや如何ん。彼れ答ふる所ありて可なり。否、アテーナイ人諸君、然りと雖眞理は其の反