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はざる可からず。殊にテーチスの子の如きは、不名譽に比する時は、危難の如きは恐るゝ所に非ずとせり。而して彼れヘクトールを殺さんと熱中せる時、母なる女神彼れに謂うに、若し彼れ、其友パトロクロスの爲めに、ヘクトールに復讐せんとせば、自己も亦死せざる可からざることを以つてして曰く、『今若しヘクトールを殺すに於ては、「運命」は次に又た汝を殺さんとして待てるなり』と。彼れ此言を聽きしと雖、危難も死も毫も之れを恐れず、たゞに之れを恐れざるのみに非ず、其友の爲めに復讐することなくして、不名譽にて生存せんことは寧ろ恐るゝ所たりしなり。故に彼答へて曰く『然らば余は、直に、敵に復讐されて死せん。徒らに此嘴角ある船の傍に生存するは、之れ世人の笑柄なり、又た之れ此地上の卑しむべき重荷たるなり』と。アヒレウス果して死及び危難を思ひしことやある。苟も人の居るべき所――自ら撰びたる所たれ、或は命令者に由つて置かれたる所たれ、一旦危急に際しては、必ず當に此に留まるべきなり。此くの如きの人物は死或は危難等は决して之れを心に介せず、たゞ不名譽を之れ恐るゝなり。あゝアテーナイ人諸君、之れ實に眞正の言たるなり。