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時の學問なるスコラ學の組織に從へる哲學及び物理學等を學習せり。然れども彼れは其のこゝにて習得せる所を以ていと不滿足に思へり。唯だ彼れが最も好めるは數學なりしが此の數學に對しても一時は興味を失ふに至れり。これより後彼れは暫らく一切學術上の事に疑ひを揷み巴里府に來たりし後は當時の武士が修めし武藝に專ら心を傾けて學問を抛擲したりしが幾ばくもなく唯だ外形的なる生活に厭きて更に沈思冥想の方向に傾き突然獨り巴里府の靜閑なる處に退き朋友にも隱れてありしこと二年、後にまた廣く世間を知り實の人間を觀察せむと思ひ立ちて自ら兵士となり初め先づ和蘭に行き後かの「三十年戰爭」の起こらむとせる時獨逸に於ける兵士の募集に應じ、其處にてノイブルグの兵營に冬籠もりせる時學術硏究の新方針に就きて豁然悟る所ありたり。彼れは此の新發見の日を一千六百十九年十一月十日なりと記せり。件の學問の新方針の彼れが念頭に浮かぶや卽時に其が開發に思を凝らし其の湧起し來たる思想の餘りに盛んなりしが爲め一時精神の非常に激昂したる狀態に陷り