コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/71

提供:Wikisource
このページは校正済みです

に歸せむとする近世學術の傾向はこゝに於いて十分なる意識を以て進み來たれり。ガリレオの機械的說明を廣く諸種の現象に應用して一の大膽なる哲學上の組織を立てたる者を英吉利人トマス、ホッブスとす。


第三十章 トマス、ホッブス(Thomas Hobbes

《ホッブスの生涯及び著述。》〔一〕ホッブスは一千五百八十八年四月五日に生まる、父は一牧師なり。其の生まるゝや恰も西班牙がかのアルマーダを浮かべて將に英國を擊たむとする由聞こえわたり擧國人心恟々たりし時に際せり。彼れ十五歲にしてオックスフォルドに入りスコラ學者の敎へ來たりたるアリストテレース風の論理學及び物理學を脩めたれども多く之れに趣味を感ぜず、然れども此の時に於いて彼れがかの中世紀の末葉に起こりたる唯名論に得たる所少なからざりしことは蔽ふべからず。其の後カヹンディシ家に師傅たりし故を以てしば歐洲大陸に旅行し特に佛蘭西には久しく其の足を留めて當時知名の學者等と交はり文學及び學術、數學又自