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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/70

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くはあらず、須らく其の事柄を迎ふるに法則てふ觀念を以つてすべし、觀察したる個々の事柄を法則に纒むること是れ吾人の知識作用なり。而して物理現象の法則は畢竟ずるに之れを物體の部分が運動する關係に求めざる可からず。吾人が物體に就きて感覺する感官上の性質は主觀的のものにして物體そのものの具する所にあらず、物體其の物に於ける變動は其を成せる部分が其の塲所を移すと云ふことの外にあらず。故に物理現象の原因を探るといふは先づ其の現象を物體部分の運動に分析し而して其の各部分の運動の相集まりて數學上生ずべき結果と見て其の現象の生起を了解する謂ひなりと。ベーコンが歸納法の主眼は現象のフォームを探求するに在りしがガリレオの硏究法とする所は數理上定め得る運動の最も單一なるもの換言すれば運動の單元を分析し出だすことに在り。故にガリレオに於いては物理現象の原因といふ事が新鮮なる且つ明瞭なる意義を有することとなり、運動學の原理に從へる近世學術の物理的說明の根本主義は彼れによりて明らかに說き出だされたるなり。彼れ以爲へらく、數學上明らかに定め得る限り吾人の知識は達するを得るものなりと。性質上の區別を分量上の區別