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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/646

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ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 一七七〇―一八三一)

《ヘーゲルの哲學、其のフィヒテ、シェルリングの哲學に對する關係。》〔三〕フィヒテの哲學は主觀を以て始めたり、故に哲學史家或は彼れの哲學を稱して主觀的主心論といふ。シェルリングは客觀を以て其の哲學を始めたり、故に哲學史家或は之れを客觀的主心論といふ。而してヘーゲルはフィヒテとシェルリングとを合し、主觀及び客觀をしてしかあらしむる所以の絕對的理想を以て出立せり、故に史家(殊に彼れの學派に屬する史家)之れを絕對的主心論と名づく。ヘーゲルに取りては絕對的理想(或は理性)是れ卽ち出でては自然界となり、內に還り自らを意識するに至りては精神界となるものなり。一切の事物は皆此の絕對的理想の發現に外ならず、而して其の發現する所の理想是れ即ち諸物に現はるゝ意味にして其の意味是れ即ち凡べての事物に於ける實在なり。一切の事物は皆かゝる意味(理想)を現はすの故を以て存在す。理性的のもの是れ即ち實在なり、凡べての實在皆是れ理性的のものなり。覆載間なる一切諸物の精髓は畢竟皆理性的意義なり、山川草木といひ、鳥獸魚介といひ、是れ皆理性の意味を語るものに外な