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らず。

理性即ち絕對的理想は論理的槪念の組織を以て其の骨髓とするものなり、而して此の眞理の骨髓ともいふべき論理的槪念の組織が出でて外に現はれたるもの(即ち恰も血肉を著けたる如きものとなりたる)是れ即ち自然界にして、そが再び內に還りて自らを意識するものとなりたる(即ち活きたる眞理、換言すれば眞理の自意識的となりたるもの)是れ即ち精神なり。故に自然も精神も共に眞理の活動したるものに外ならず。斯くの如く絕對的理想が、眞理を赤裸々にしたるものともいふべき論理的槪念の組織より出でて自然界となり、還りて精神となるは、畢竟其が本具する活動の然らしむる所にして、かくの如く活動する樣を離れて別に理性と云ひ、理想と云ひ、或は眞理と云ふものの存在するに非ず。凡べては皆理想の發達の然らしむる所にして、而してかゝる發達を外にして別に理想てふものなし。而して理想の活動し行くや其が一槪念を以て出立すれば(Thesis)自然に其の反對(Antithesis)に進み行き、反對に進み行けば又必ず二者の融和に進み行かざるべからず、而して其の融和(Synthesis)に進み行けば又其れに對する反對に移り行き次いで又更