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作る所に似たるものなり。即ち美術的製作に於いては意識と無意識との一致、自然と我との一致が成り立ち居れり、換言すれぱ、世界の最も深奧なる祕密が美術的製作に於いて發現すと謂ふべきなり。

以上はシェルリングが其の哲學の第一期に於いて自然哲學と知識哲學とを並べ說けるものの主意なるが、彼れが該期の思想に於いて已に自然界として活動するものも精神界として活動するものも根本に於いては同一者なりといふ思想は含まれたり。彼れに從へば無意識なる同一活動がまづ自然界として始まり而して自らを意識するに至りて精神界となるに外ならず、而して此の自然と精神とが其の根柢に於いて同一なるものなりといふ方面に專ら著眼して說きたるものを彼れが第二期の哲學即ち無差別哲學とす。以爲へらく、客觀と主觀とは其の本體に於いて平等無差別なり、之れを相離して見るは畢竟吾人の差別見の爲す所にして哲學上理知の直觀を開きて觀る者に取りては主觀と客觀、精神と自然とが融合して相離れざる所、換言すれば其の平等無差別なる所を見ることを得。此の平等無差別なる絕對者は事々物々に凡べて均しく存在するものなり、絕對者たる方面よ