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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/642

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き出だせる時期にして此の期に於いては彼れはスピノーザの影響を蒙れり。第三期は彼れが神祕說及び神話學の時期と稱し得べきものにして此の期に於いては彼れはヤーコブ、ベーメ及び新プラトーン學派等の影響を蒙れり。

フィヒテに從へば非我(客觀即自然界)はが自らを意識し行我に進み行きて道德我とならむが爲めにに對して置かるゝものなり、即ち唯だの反對として我の自識を發達せしめむが爲めにのみ其の意味を有するもの也。シェルリングに取りては然らず、非我は唯だ我の反對にあらず寧ろ我の準備又は前階とも名づけ得らるべきもの也、換言すれば、非我即ち自然界が發達して而して我が其の中より生じ出づるなり。之れを譬ふれば、我即ち精神界は非我即ち自然界より咲き出でたる花の如きものにして而して其の花こそ自然界の存在の意味を現はし又其の眞性質を示すものなれ。自然界が發達し行き其が冠として精神界の生じ出づるに至りて自然界發達の目的に達したるものといふを得べく、又茲に至りて自然界に於いて働くものの眞に何たるかを知ることを得べし、何となれば自然界として存在し又活動するものは精神界として現はれ出づるものと同一不二なるものなれば