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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/641

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すれば、我が理想に從ひ世界を造りて之れを我が領內のものとせむとするものなり、而して道德は正さしく茲に存するものなりと。斯くしてフィヒテは一絕對的根元の開發の段階としてカントが謂はゆる知的理性と行的理性との關係を說かむとせり。

フィヒテがカントより出でて特殊の見地を開きたるが如く、又フィヒテより出でて一新立脚地を拓きたるものはシェルリングなり。


シェルリング(Friedrich Wilhelm Joseph Schelling 一七七五―一八五四)

《シェルリングの哲學、其がフィヒテの哲學に對する關係。》〔二〕シェルリングの哲學は種々の時期を經て變遷し行けり。彼れは最初にはフィヒテの立脚地に居りしものなるが其のフィヒテ時代ともいふべき此の時期を除けば、彼れが哲學の變遷には大凡三期ありといふことを得べし。第一期は彼れが自然哲學(Naturphilosophie)と知識哲學(Transzendentalphilosophie)とを並べ說きたる時代なり。第二期は其の無差別哲學(Identitätsphilosophie)と名づけらるゝものを說